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2006年10月24日 (火曜日)

殺されることはあっても「感謝」出来るか

おいらは、「何があっても感謝」することがむちゃ大事よ~と普段言ってます。

感謝できないことも「ありがとう」を言ったら?とおいらに相談してくれた人に伝えた。

でも、自分が殺された場合は?大切な人が殺された場合は?自分の子供が殺された場合は?

それでも感謝できるか・・・・・

・・・・・・・・・・

1週前、メールが来ました。

2年前、恋人が殺された女性から。

それはオイラもニュースで知っている事件でした。

彼女は何度も死にたいと思いました。何度も死んで会いたいと思いました。

「どうして、すぐに死ねなかったか。

ただでは死ねない。私が死ぬ時は犯人を殺す時、
そう思っていました。

でも、そうなったら自分の
両親、兄にどんなに迷惑がかかって悲しむか・・
そう思うと出来ませんでした」

・・・・・・・・・・・・・・・

ずっと、このメールは気になった。なかなかご返事することができなかった。

「殺されても感謝しよう」とまともな人が言うことじゃないし。

でも、勇気を絞って、オイラなりにいろいろ分かったことをお返事させていただきました。

・・・・・・・・・・・・・・・

○○さんメールありがとございました。
HPを見てくれてありがとう。

神様と○○さんのお魂は、つらいシナリオを書いたみたいですね。

今世は、魂の向上のため、あの世で自分が書いたシナリオみたいです。

何があっても感謝できるか、何があっても人を許そうと書いたシナリオみたいですね。

でも、現実には

すごく苦しんだね。

よくがんばったね。

心からそう思います。

それと、

今まで、よく生きてきてくれてありがとう。

おいらは、「何があっても感謝」することが大事と普段言ってます。

でも、自分が殺された場合は?大切な人が殺された場合は?自分の子供が殺された場合は?それでも感謝できるか。

まさに○○さんのことですね。今世の最大の課題かなと思います。

この宇宙では「因果律」というものがある。

投げかけたものが自分に帰ってくる。

そんなシンプルな法則の中でボクラは生かされている。

愛したら愛される。殺したら殺される。

佐藤愛子さんと江原啓之さんのご本『あの世の話』で

殺されることはあっても、

決して人を恨んではいけないと言ってます。

『例えば、自分は殺されたとします。自分が殺されることができるというのは、人がいるからだと。

殺してくれる人がいるから自分が殺されることができるんだと。

だから、その人に対しては感謝しなきゃいけないと。

それで、自分を殺すということのために、その人はその分カルマを背負ってくれる

自分は殺されたことにより、殺された心の痛みを理解できて、二度と人を殺さない魂になれる。

だから、その人のおかげで自分はそれだけ向上できるんだから、そして自分のことでカルマを背負ってくださるから、その人を愛さなきゃいけない。

ですから、世界人類みな愛さなきゃいけないにつながってくる』

小林正観さんの本にこんな文があります。

『私たちは生まれ変わりの回数が9万6000回プラスマイナス2000というレベルだからなんですけど、

実は、

私たちは全員殺人者であった。

物取りであった、強盗であった、さぎ師であったんです。

そういうのをしたことが何十度とあるんですね。

だから、私たちは人を犯罪を裁く権利はどこにもない。

私たちも過去生ではそうだったんです。

たまたま、生まれ変わりの回数がここまできたから「私」は今はしないと思っているだけであって、実は、全員通り過ぎてきたことなんです。』

『どんなことがあっても、それに対して「私」がどう考えるかというだけなんんです。

空き缶を捨てる人がいる。そうしたら、私は空き缶を捨てない人間になろう。

タバコを捨てる人がいる。私はタバコを捨てない人間になろう。

そういう決意をさせるために、神は目の前にその現象を見せているんです。

ひどい事件があったときに「私は絶対そういうことをしない」って決意をすることが、宇宙や神から私たち一人ひとりに問われていることなんですね』

・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな感じで返事させていただきました。

この宇宙では「因果律」というものがある。

江原さんの亡くしたお父さんは、先祖の中に御殿医がいたんだそうなんです。

殿様の命令によってほかの人を毒殺した。その原因が一つの因縁となって残って、恨みの念を買ってしまった。

だから(?)江原さんのお父さんは薬の会社で薬害で死んだ。

これは悪い「因果律」ですね。江原さんのお父さんは薬害で殺されたから、ご自分のカルマを背負ってくれて、軽いお魂になったそう。

明日はいい「因果律」を書いてさせて頂きます。

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ありがとう」カテゴリの記事

コメント

殺されて感謝・・・難しい。

投稿: sora | 2006年10月24日 (火曜日) 02時18分

☆soraさん

>殺されて感謝・・・難しい
←おいらも。難しいと思います。

投稿: ☆たけ☆ | 2006年10月24日 (火曜日) 02時29分

お察し致します。
きっと彼は、大切な貴女を、ずっとずっと見ていてくれていますよ。はやく、お心が癒されますように。

投稿: まゆみ | 2006年10月24日 (火曜日) 10時35分

○○さんへ

たとえ相手を許す事ができなくても 許そうと試みる、それだけでも全然違うと思います。

偉そうな事は何も言えませんが
どうか大好きだった彼の分まで限りある命を大切にして下さい。

投稿: ゆう | 2006年10月24日 (火曜日) 13時35分

何回も読ませていただきました。

本当に難しいことだと思います。
少なくとも今のボクにはまだまだ受け入れられない考えだと思います。
そこまで深い意味での感謝にはたどり着けないと思います。

でも、たけさんの作品に出会い、そこから色んな考え方を学び、いろんな本にも出会い、実践していることや、実践できてないことも含めて、目指していきたいとは思っています。

きちんと筋道立ててお返事されたたけさん、やっぱりすごいと思います。ボクならきっと何も言えなかったと思います。

投稿: ☆ぶ☆ | 2006年10月24日 (火曜日) 13時58分

こんにちは。
感謝の深さを知りました。
いつかもっともっと修行の日をおくって、こんな考え方が自然にできるような人になりたいです。
たけさんに出会ったことはその1歩だと思います。
ありがとうございます。

○○さんのこころが、癒されますようにお祈りしています。

投稿: ユコ | 2006年10月24日 (火曜日) 15時33分

すごく苦しんだね。

よくがんばったね。

と、私も○○さんにいってあげたいです。

投稿: showko | 2006年10月24日 (火曜日) 18時19分

私も「殺されても感謝できるか」なんてこと、
今聞かれても分かりません。
むしろ、今はできないと思います。

でも、
自分の経験から「裏切った相手に感謝することはできるな」って思います。私の場合は、ですけど。
そのときは、当然無理でしたけど、
時間がたって落ち着いて考えたら、
「自分が裏切る方じゃなくて、裏切られる方でよかった」、「人をだます方じゃなくて、だまされる方でよかった」って。

ものすごく辛かったし悲しかったけど、
自分は絶対にこういうことはしないでおこう、って
強く思うこともできたし、
人の痛みも分かるようになったかなって。
いい人生勉強になったって。
今はそう思えるようになりました。

たけさんの日記を読んで
「ああ、うちが思ったことと同じや…」って思いました。

悲しみの大きさは違うけど、
人はそうやって悲しみを乗り越えていくのかもしれないって思います。
そこに辿り着くまでに、
どれだけ時間がかかるかは人それぞれ。
きっと自分の命があるうちに乗り越えられない人も
たくさんいるんでしょうね。。。
それだけ、究極の悲しみ、憎しみですもんね。
命を奪われるっていうことは…

今、一生懸命考えたことを書いてみました。

投稿: みっしー | 2006年10月24日 (火曜日) 21時49分

世の中にはいろんな人がいます。
いろんな考えがあります。
プラス思考なんてと、本当につらいときは
そう思います。
自分が世の中で一番みじめで、いちばんつらいと
三年前・・毎日、毎日泣いていました。
今思うとよくあんなに涙が製造できたよ・・
今、みっしーさんみたいに
自分が裏切る人でなくてよかったと、思えるのです。
今は子供の前で泣いたりしなくなったし、前を向いて
とにかく前を向いて、笑います。

投稿: ゆりねえ | 2006年10月26日 (木曜日) 23時08分

○○さんから、たけさんのこと 教えていただきました

私も、愛した人の命を奪われたことがあって、
もう30年以上昔だけど、痛みや辛さ、知ってるから、
私はたけさんのように話せなかった。。

たけさんの言葉 聞かせていただけて 感謝です

私の知人に、理不尽な出来事で、愛する人の命と存在を奪われた人が 何人かいて、
その人に 「ありがとう」や、感謝の思いを伝えたい、話したいと思ってはいても、うまく話せませんでした。

たけさんの言葉 そういえるたけさん

きっとすっごく学ばれたのだろうと思います

出逢えて、本当に感謝です

ありがとうございます。


投稿: momolove | 2006年11月17日 (金曜日) 08時20分

弟が母親を言葉の暴力でもって
殺しました。言葉の暴力なので
法的裁きを受けることもなく、
呑気に家で暮らしています。
そのことが許せず、ここに
辿りつきました。
中々、難しいことですが
許すようにしたい。
その方が死んだ母親も
喜んでくれると思います。

投稿: 未熟者 | 2011年1月23日 (日曜日) 22時02分

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