心配心はご法度の心①
心配ごころは、毒素を発散しているとは多くの人の知らないことだと思います。
「御法度の心」であることを不思議に思う人もあるのでは?と思います。
まずに
吉丸房江さんの「あのねだいじょうぶだいじょうぶ」の本の一部文をお読みください。
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何かあるごとに、すぐに心配をしてくれる人がよくいます。
そういう人を私たちは「やさしい人」と思うことがあります。
でも、それはまちがいです。心配はたいへん悪いこと、マイナスのエネルギーを出すものです。
顔見知りの誰かに、「あなた、顔が青いよ。どこか具合が悪いんじゃない」「早くお薬飲んで休まないとたいへんだよ」といわれたら、「ああ、そうかな。そういえば、ちょっと体がだるいし、熱っぽいかもしれない」という氣になります。
そして、そんな忠告をしてくれた相手に「心配してくれて、ありがとう」と感謝します。でも、これは感謝するどころの話ではありません。マイナスエネルギーを頭からかけられたのと一緒だからです。
「風邪をひいたのね。でも、大丈夫よ。すぐに治るから」という言い方をしてくれるのならいいのです。これは、プラスのエネルギーがいっぱいこもっている心くばりです。
ところが、「放っておくとたいへんよ」「早く医者に行きなさい」というような言い方をされると、不安になってしまいます。
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何かあるごとに、すぐに心配をしてくれる人がよくいます。
そういう人を私たちは「やさしい人」と思うことがあります。
でも、それはまちがいです。心配はたいへん悪いこと、マイナスのエネルギーを出すものです。
顔見知りの誰かに、「あなた、顔が青いよ。どこか具合が悪いんじゃない」「早くお薬飲んで休まないとたいへんだよ」といわれたら、「ああ、そうかな。そういえば、ちょっと体がだるいし、熱っぽいかもしれない」という氣になります。
そして、そんな忠告をしてくれた相手に「心配してくれて、ありがとう」と感謝します。でも、これは感謝するどころの話ではありません。マイナスエネルギーを頭からかけられたのと一緒だからです。
「風邪をひいたのね。でも、大丈夫よ。すぐに治るから」という言い方をしてくれるのならいいのです。これは、プラスのエネルギーがいっぱいこもっている心くばりです。
ところが、「放っておくとたいへんよ」「早く医者に行きなさい」というような言い方をされると、不安になってしまいます。
自分ではそれほどでもないと感じているのに、大変な病氣にかかっているのではないかと恐怖におそわれます。
そんな氣持ちを抱いていると、どこも悪くないのに、本当の病氣になってしまうこともあります。
心配はマイナスのエネルギーを持っているというのは、こういう意味です。
そんな氣持ちを抱いていると、どこも悪くないのに、本当の病氣になってしまうこともあります。
心配はマイナスのエネルギーを持っているというのは、こういう意味です。
心配と心くばりは違います。
あるとき、私の家に一人のおばあさんが訪ねていらっしゃいました。
おばあさんは、「一つだけあなたに聞きたいことがあります」
といわれ、こんな話をしはじめました。
「私の両親はとても宗教心のある人たちで、私も両親のような生き方をつづけてきました。自分の子供たちにも、怒ったり、人をだましたり、むさぼったりしないようにいってきました。お釈迦様の説かれたことは守るように努力してきました。
それなのに、両親も私も幸せではありません。私は不幸せのまま死んでいくのは嫌です。あなたはこれをどう説かれますか?あなたの本にも、人をうらんだり、ねたんだり、だましたりしてはいけないと書いてありました。でも、そうやって生きているのに私は幸せになれないのです。それはどうしてだと思いますか?それをあなたに聞きたくてやってまいりました」
私の本には、その答えも書いてあるはずでしたが、おばあさんはその部分を読んでおられないようです。そこで私は聞いてみました。
「あなたのお母さんは人をねたんだり、うらんだりしなかったのね。むさぼることもなかったのね」
「そうです。だから私もしませんでした」
「ああ、そうなの。よかったわね。だけどね、一つ聞きますけれど 、心配はどう?あなたは心配もなさらなかったの?」
すると、おばあさんは答えました。
「朝から晩まで心配ばかりしています。子供が出かければ交通事故に遭わないか、雨が降れば濡れないか、寒ければ風邪をひかないかと、朝から晩まで私の頭の中は心配ばっかりです」
「その心配がいけないのですよ。あなたの心配があなたの人生をマイナス方向に向けてしまったのですよ」
私がそういうと、おばあさんは怪訝(けげん)な顔をなさいました。
「いや、私がしたのは心配ですよ。うらんだり、ねたんだり、むさぼったりじゃない。心配をしただけです」
心配の意味をうまく理解できないようなので、私はさらにいいました。
「その心配がいけないんです。
病氣のときに『××さんも同じような症状があったのに、ほっといてガンになったらしいですよ、私もあなたのことを心配しています』といったら、その人はどうなるでしょう。病氣はよくなりますか。
もしかして自分もガンの前兆かもしれないと思うでしょう。
心配は、人をどんどんマイナスに導いてしまうのですよ。
あなたはご両親から心配のエネルギーをいっぱいふりかけられて、あなたもまたいっぱい心配をして、それを悪いことだとは思っていないようです。
けれども、それは人をうらんだり、ねたんだり、むさぼったりするのと同じマイナスのエネルギーなんです。マイナスはマイナスを呼ぶのです。
心配すれば心配が、心配しながら心配事を集めて心配にきます」
私がこのように説明をすると、おばあさんはようやく納得されたように、こうおっしゃいました。
「朝から晩まで心配の一日でした。心配をするということは、自分 をへりくだり、人に親切にするやさしい言葉だと私は思っていました。私の親も同じように思っていたのでしょう」
「心配は無用です。心配したからといって、病氣も仕事もよくなるものではありません。
これからは、大丈夫で生きましょう。
『大丈夫、大丈夫』といつもいっていれば、それが神様に通じて、何でも大丈夫になりますよ。
そして、その次は『ありがとうございます、ありがとうございます』というのです」
私がそういうと、おばあさんは
「わかりました。本当にそうですね」
とホッとした表情を浮かべ、うなずいてくれました。そのときのお顔がとても印象的でした。
心配はやさしさの表現ではありません。
心配をするのなら、代わりに「大丈夫!!」と腹を決めて、「ありがとうございます」と感謝をする習慣をつけるように心がけましょう。
心配の種が心に芽生えたら、すぐに「大丈夫」とささやきかけてください。
明るく感謝して「大丈夫」で生きていけば、すべては好転していきます。
なぜならば、それは宇宙のリズムに沿った生き方だからです。
単純明快は神の心、複雑怪奇は悪魔のささやきなのです。
~~~
以上です。心配心がなぜご法度の心か?と思う疑問に分かり易く教えてくださった。
②に続きます![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/up.gif)
あるとき、私の家に一人のおばあさんが訪ねていらっしゃいました。
おばあさんは、「一つだけあなたに聞きたいことがあります」
といわれ、こんな話をしはじめました。
「私の両親はとても宗教心のある人たちで、私も両親のような生き方をつづけてきました。自分の子供たちにも、怒ったり、人をだましたり、むさぼったりしないようにいってきました。お釈迦様の説かれたことは守るように努力してきました。
それなのに、両親も私も幸せではありません。私は不幸せのまま死んでいくのは嫌です。あなたはこれをどう説かれますか?あなたの本にも、人をうらんだり、ねたんだり、だましたりしてはいけないと書いてありました。でも、そうやって生きているのに私は幸せになれないのです。それはどうしてだと思いますか?それをあなたに聞きたくてやってまいりました」
私の本には、その答えも書いてあるはずでしたが、おばあさんはその部分を読んでおられないようです。そこで私は聞いてみました。
「あなたのお母さんは人をねたんだり、うらんだりしなかったのね。むさぼることもなかったのね」
「そうです。だから私もしませんでした」
「ああ、そうなの。よかったわね。だけどね、一つ聞きますけれど 、心配はどう?あなたは心配もなさらなかったの?」
すると、おばあさんは答えました。
「朝から晩まで心配ばかりしています。子供が出かければ交通事故に遭わないか、雨が降れば濡れないか、寒ければ風邪をひかないかと、朝から晩まで私の頭の中は心配ばっかりです」
「その心配がいけないのですよ。あなたの心配があなたの人生をマイナス方向に向けてしまったのですよ」
私がそういうと、おばあさんは怪訝(けげん)な顔をなさいました。
「いや、私がしたのは心配ですよ。うらんだり、ねたんだり、むさぼったりじゃない。心配をしただけです」
心配の意味をうまく理解できないようなので、私はさらにいいました。
「その心配がいけないんです。
病氣のときに『××さんも同じような症状があったのに、ほっといてガンになったらしいですよ、私もあなたのことを心配しています』といったら、その人はどうなるでしょう。病氣はよくなりますか。
もしかして自分もガンの前兆かもしれないと思うでしょう。
心配は、人をどんどんマイナスに導いてしまうのですよ。
あなたはご両親から心配のエネルギーをいっぱいふりかけられて、あなたもまたいっぱい心配をして、それを悪いことだとは思っていないようです。
けれども、それは人をうらんだり、ねたんだり、むさぼったりするのと同じマイナスのエネルギーなんです。マイナスはマイナスを呼ぶのです。
心配すれば心配が、心配しながら心配事を集めて心配にきます」
私がこのように説明をすると、おばあさんはようやく納得されたように、こうおっしゃいました。
「朝から晩まで心配の一日でした。心配をするということは、自分 をへりくだり、人に親切にするやさしい言葉だと私は思っていました。私の親も同じように思っていたのでしょう」
「心配は無用です。心配したからといって、病氣も仕事もよくなるものではありません。
これからは、大丈夫で生きましょう。
『大丈夫、大丈夫』といつもいっていれば、それが神様に通じて、何でも大丈夫になりますよ。
そして、その次は『ありがとうございます、ありがとうございます』というのです」
私がそういうと、おばあさんは
「わかりました。本当にそうですね」
とホッとした表情を浮かべ、うなずいてくれました。そのときのお顔がとても印象的でした。
心配はやさしさの表現ではありません。
心配をするのなら、代わりに「大丈夫!!」と腹を決めて、「ありがとうございます」と感謝をする習慣をつけるように心がけましょう。
心配の種が心に芽生えたら、すぐに「大丈夫」とささやきかけてください。
明るく感謝して「大丈夫」で生きていけば、すべては好転していきます。
なぜならば、それは宇宙のリズムに沿った生き方だからです。
単純明快は神の心、複雑怪奇は悪魔のささやきなのです。
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以上です。心配心がなぜご法度の心か?と思う疑問に分かり易く教えてくださった。
②に続きます
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コメント
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☆たけさん☆ こんばんは
お婆さんの気持ち、凄くわかります。同時に、たけさんの言葉、納得しました。 私も似た様な経験をしました。その中で『なのに、何故?』と苦しみました。 たけさんの言う言葉、 ある方と同じ様に、心配しないで前向きな気持ちでいなさい!と…。今やるべき事をしながら、感謝をする事で、一つずつ、紐が解ける様に、何かが、いい方向へと向かうから!と…。 心配する思いも、マイナスの気が発してしまうんだと…思いました。 『親』というものは、字の如く『木の上に立ち、子を見守る』と言いますね。 ☆たけさん☆二重に納得させて頂きました
今日も学びをありがとうございます
毎回、毎回、お疲れ様です
(合掌)
投稿: 木蓮 | 2009年4月 9日 (木曜日) 22時14分
たけさん☆ 前々のお返事、ありがとうございます
現実をしっかり、受け入れてる自分でいます。 おばあさんの話、『心配心』がおばあさんの心を複雑、不幸を呼び寄せていたのですね。 言葉は言霊、生きていますものね。 『心配心』と『心くばり』= 『不幸心』と『無償の愛』 になりますよね?![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/delicious.gif)
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『単純明快』は、神の心。 『複雑怪奇』は、悪魔の囁き。 幻花は、しっかりと肝に命じて病も『心配エネルギー』よりも『ありがとうエネルギー』を、心に唄って向かいますね。 常に『洗心』頑張ります
たけさん☆ 教えと学びを… ありがとうございました![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/delicious.gif)
投稿: 幻花 | 2009年4月10日 (金曜日) 00時20分
「心配心」は人をどんどんマイナスに導いてしまう…両親から心配のエネルギーをいっぱいふりかけられて…たけさんの説明を読んで良くわかりました 私の数年前までとほとんど同じでした…両親も「心配心が毒素をだしてる」なんて思いもしないで私を育ててくれ私も親が正しいと思い同じ様に子供を育てていました これからは大丈夫・ありがとう・感謝を大切によりいっそう洗心を心がけますたけさんに毒素ふりかけてすいませんでした
投稿: ゆ〜 | 2009年4月10日 (金曜日) 07時50分
そうなんです。多いんですよね。心を先々配って心配してあげてんのよ~って言う人。
特に田舎は人の情を大切にするから、良いことのように考えられますしね。
ちょっと、そう人苦手なんだけど、そこを、しっかりと流されずにコミュニケーションとらなきゃいけないんですね。ヘタすると、こんなに心配してあげているのに、と嫌われてしまうし・・パワーの問題ですかね。ここの押し問答は。
投稿: あわっ子 | 2009年4月10日 (金曜日) 18時28分
心配をすれば するほど心配事がやってきますね![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/sad.gif)
それよりも大丈夫・大丈夫と唱えた方が![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/confident.gif)
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楽しいし 楽だもんね
それで大丈夫が頂けたら最高に感謝ですね
![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/shine.gif)
投稿: 未熟な天使 | 2009年4月10日 (金曜日) 22時59分
たけさん?
青ベースのブログに青の文字
で肝心な部分が読めないの
は私だけ? 携帯からだか
らかな?
パート2はバッチリ読めました
(^-^)
ありがとう(^-^)感謝です
投稿: ゆみ | 2009年4月10日 (金曜日) 23時15分
【心配心】は本当に無用ですね
自分も病気になる場合もあるしですね![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/weep.gif)
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願って(念じて)やることで
(守護霊・指導霊・補助霊・本人)さんに![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/wink.gif)
![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/shine.gif)
また周りの人までも不安にさせますね
そして心配された方も、本当は【ありがた迷惑】 なんですね
それよりもプラスになれるような言葉を笑顔で話したり
ひそかにプラスになるように
大が小になったり思い
通じて大丈夫になるかもしれないですね
そうなるといいですね
たけさんによって色んな事を教わっています![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/shine.gif)
ありがとう。ありがとうございます![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/full.gif)
うれしいです
投稿: ティンカーベル | 2009年4月11日 (土曜日) 00時14分
皆様ありがとうございます。
心配心は御法度でしょう?
心配心は怒り・恨みなど同じくマイナスの波動を発してしますね。
心配は優しさや思いやりとか全然ありませんね。逆のマイナスの波動なのでした。
これからは「大丈夫」「ありがとうございます」という明るい言葉を発してみてくださいね。
ありがとうございます![](http://emojies.cocolog-nifty.com/emoticon/shine.gif)
大丈夫!ありがとうございます!
投稿: ☆たけ☆ | 2009年4月11日 (土曜日) 13時35分
たけさん(^-^)
字の色をクリアな色に直し
てくださってありがとうご
ざいます(^-^)
今 すべてを読み終えさせ
ていただくことができまし
た(^-^)
ありがとう(^-^)感謝です
今思えば…たけさんから
はじめて頂いた言葉は
【大丈夫】でしたぁ(^-^)
あの時の気持ちを忘れない
ように額に入れて飾らせて
頂いています(o^o^o)
投稿: ゆみ | 2009年4月11日 (土曜日) 23時14分
たけさんそうなんですよね
最近の佐奈は心配心ありました泣きながら読みましたありがとうございます大丈夫 大丈夫
投稿: 佐奈 | 2009年4月15日 (水曜日) 18時49分