『日々の暮らしが修業なり』
これは先日の話でございます。
ある日、うちのスタッフさんがえらい機嫌悪く出勤しました。
彼女は、安い給料でまともに休みもない環境でも不平不満一つもなく、元気でニコニコして仕事してくれるありがたい方ですが、この日だけは違っていました。
まぁ〜彼女は、昨日までのおいらの不機嫌の姿を身に映して示してくれただけ。
思ったら、おいらも機嫌が悪い時があったやろう。
周りの人は、目の前の人は、自分の合わせ鏡。
だから、どうして相手を咎めることができるだろう。
昨日までの自分の姿やし。
この時は、おいらは、ちょうど部屋の掃除で、床を磨きました。
パソコンの前に座る彼女の足元も磨きました。
ちょっと手伝ってくれたらいいな~とおもったけど、機嫌悪い彼女に言えない。
しかし
しかし、
決心しました!
いつまでも彼女の言いなり(笑)のおいらとは違うねん!
そう!言ったとも!
「(足を上げてくれて)ありがとう」
なんかおいら自分で笑えました。
これは、もしかすると
床を磨きながら魂を磨いている最高の下座の修業をやっているな〜と。
「修業」
最近は、あんまり聞かないけど、「自分探しの旅」や、プチ修業の旅などで、滝修業、お寺で座禅など、中にはインドまで行く人もいます。
それはそれでいいことだと思いますが、特別な修業や秘密の行法より、一番の修業は、日々の暮らしの中にあります。
夫婦にも、親子にも、会社にも、学校にも、社会にも、腹立つ人がいる。イライラすることがある。
人のせいにして、自分が悪くないと考える時もある。
活動する人に羨み、幸せそうな人にねたみ、自分の環境に不満不平を言い、御法度の心が出てくる時もある。
この時こそ修業の機会なのです。御法度の心を持った自分を、どうようにして反省して感謝することまで出来るのか。それが一番の修業なのです。
日々の洗心が大切だ。そしてこれが魂の修業でございます。
『日々の暮らしが修業なり』
ありがとうございます
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
個展のお知らせ
いよいよ明日からです!
■6月9日(水)〜15日(火)
■タカシマヤ京都店 5F文具
http://www.takashimaya.co.jp/kyoto/index.html
☆たけは11時〜17時、現場で実演させていただきます。
ぜひ遊びに来てくださいね!
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
宇宙創造神様の御教え
常の心
「強く正しく明るく、我(が)を折り、宜(よろ)しからぬ欲を捨て、
皆仲良く相和(あいわ)して、感謝の生活をなせ」
御法度(ごはっと)の心
「憎しみ、嫉(ねた)み、猜(そね)み、羨(うらや)み、呪い、怒り、
不平、不満、疑い、迷い、心配ごころ、咎(とが)めの心、
いらいらする心、せかせかする心を起こしてはならぬ」
この御教え「常の心」と「御法度の心」を守ることを「洗心する」といいます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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オフィシャル:たけの世界http://
最後まで読んでくださって、ありがとうございます
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
途中ちょっと笑いました… 失礼f^_^;
腹が立つ イライラする そんな時こそ修行の機会なんですね。
私もそんな自分に出会ったら、今修行中!と思うようにします。
ありがとうございます。
高島屋京都店、ちょっと体調崩していましたが、何とか間に合いそうです。楽しみにしています
投稿: なおこ | 2010年6月 8日 (火曜日) 21時14分
常の心と、ご法度の心。私の中に、どちらの心も存在しているようです。
ご法度の心が顔をだすと、あとから、なんともいえないいやな気持、後悔の気持ちになります。
そういう自分を、本当の自分として認めたくないという気持ちにもなります。
そして、心の中を、きれいにしたいなあと思うのです。
人に優しく、自然とありがとうといえる自分、
意識せずに、しぜんとそんな気持ちになれていた自分にもどりたい。
そんなことばかり、思っていた時期がありました。
以前はできていたことが、どうして、今できないのかと思うと、またご法度の心が顔をだします。
それは、きっと、そういう自分を、認めないままでいるからなのかもしれませんね。
いやな自分を、認めなければ、反省する気持ちはでてこないでしょうから、、、。
最近気がついたことなのですが、私の記憶の中のつらかったり、嫌だったり、悲しかったり、そんなときの記憶が、ある時期からなくなっていたようなのです。
今ある自分が、どこかで、別の人間にいれかわってしまたのではないかと言う不思議な感覚です。何もかもが、暗闇のなかにあって、生きているのがつらかった頃があったのに。
私は、まだまだ修行がたりません。
日常生活の中に、修行の場がある。よいことを教えていだきました。
ありがとうございます。
投稿: みゆ | 2010年6月 8日 (火曜日) 23時56分
なおこさん
>途中ちょっと笑いました… 失礼f^_^;
↑いやいや、笑ってくれてありがとうございます
>腹が立つ イライラする そんな時こそ修行の機会なんですね。
私もそんな自分に出会ったら、今修行中!と思うようにします。
↑そうですね!
日々の洗心が大切だ。そしてこれが魂の修業でございます。
『日々の暮らしが修業なり』
>高島屋京都店、ちょっと体調崩していましたが、何とか間に合いそうです。楽しみにしています
↑ご来場をお待ちしております
ありがとうございます
投稿: ☆たけ☆ | 2010年6月11日 (金曜日) 00時47分
みゆさん
>常の心と、ご法度の心。私の中に、どちらの心も存在しているようです。
↑当たり前ですよ。御法度の心がない魂は、地球に産れて来ない。
>最近気がついたことなのですが、私の記憶の中のつらかったり、嫌だったり、悲しかったり、そんなときの記憶が、ある時期からなくなっていたようなのです。
今ある自分が、どこかで、別の人間にいれかわってしまたのではないかと言う不思議な感覚です。何もかもが、暗闇のなかにあって、生きているのがつらかった頃があったのに。
↑わかります。困難を乗り越えれた方は、しかも感謝して乗り越えれた人は、全く違う行き方、考え方になりますね。おいらもそうです。
おいらもまだまだ修行がたりません。
日常生活の中に、修行の場があるけど、楽しく明るく笑って修業したいと思います。
ありがとうございます
投稿: ☆たけ☆ | 2010年6月11日 (金曜日) 00時56分
初めまして!雪です。
「日々の暮らしが修行」ホンマやッ!!忘れてました。思い出させてくれて、ありがとう。
投稿: 雪 | 2010年6月14日 (月曜日) 22時34分