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2011年4月 4日 (月曜日)

最も尊い死に方かもしれません

『石巻の「青い目のおなご先生」』


3月22日、宮城県は、東北地方太平洋沖地震と津波による被害で、「米国人教員の死亡を確認した」と発表しました。

AFPは「今回の震災で米国人の死亡が確認されたのは初めて」と報じました。

死亡したのは、宮城県石巻市で英語を教えていたテイラー・アンダーソン(Taylor Anderson)さん(24)です。

地震後、自転車に乗っていたところを津波に流されたとみられています。

彼女は、津波警報がけたたましく鳴る中、教え子すべての子供たちを親に引き渡すまで、津波の恐怖から逃げなかったのです。


タイラー・アンダーソンさんは、2008年に来日し、石巻市の小・中学校で英語を教えていました。

地震が起きた時、彼女と一緒にいた小学校の関係者によると、彼女は児童たちを親に引き渡すまで学校に待機し、最後の子供を親御さんに引き渡してから、自転車に乗って高台に避難しようとしてたのだそうです。

そして途中で津波に巻き込まれた。

事態を知った石巻市は、アメリカ・バージニア州に暮らすテイラーさんの両親と連絡を取ります。

そして23日、父親のアンディーさんたちが急きょ来日した。
そしてその日、彼女の死亡が確認された。

現場付近を訪れて花を手向けた父親のアンディーさんは、
「津波が想像を超えるものだったことがよく分かりました。
娘が仕事をしていた場所を見ることができて良かった。
祈り、支援してくださった人びとに感謝します。
多くの人びとの祈りと支援によって、わたしたちはこの危機を乗り越えることができました。
これからも、行方不明の方々のために、それに日本の人々のために祈ってください」と語りました。

このあとご両親は、彼女が教えていた市内の中学校を訪問、学校での様子を聞いたり、アンダーソンさんが作った折り鶴を受け取ったりした。

ご両親は、彼女が使っていたポットや鍋、それに衣服を、日本の人々に寄贈されるそうです。

そしてご両親は、余震が続き、福島原発危機がいまだ去ることのない日本の復興を支援するための義捐金活動を始めると言う。

「それは、テイラーが望んでいたことだからです。
彼女は、自分が魅せられた日本で、自分の望んだ世界に住んでいたと思います。
彼女なら、この美しい日本が復興することを何より願っているはずです。
私たちは、彼女の名にかけて、日本が元に戻るように働きかけていきたいと思います」
と姉のジュリアさんは話しています。

「娘の死に方は、彼女の人生観を象徴しています。
娘は人に対して深い思いやりを持った温かい性格です。
彼女が、この世で行なった最期の行いは人を救うことでした。
それは何より、彼女の人柄を物語っています。
タイラーは、生徒たちから、大好きな先生として慕われていたようです。私は、娘を誇りに思っています」
と母親のジーンさんは、テレビの取材に答えました。

タイラー・アンダーソンさんは、今回の震災の外国人被災者のうち、安否確認が取れた最初の外国人です。

「未曾有の大震災。亡骸(なきがら)を確認できただけでも幸運」というのは、ご遺族にとってあまりにも残酷な仕打ちです。e

果たして、「どうか、安らかに眠ってください」という、お決まりの言葉で、その御霊を鎮めることができるのでしょうか。

少なくとも、私たち日本人は、自分の命も顧みず、多くの日本の子供の命を救ったタイラー・アンダーソンさんの名前は忘れることはないでしょう。
三陸の紺碧の海の町に「青い目のおなご先生」先生がいたことを。
そこには、「二十四の瞳」のような風景があったのかもしれません。




『東日本大地震 自分を犠牲にして中国人研修生を避難させた日本人』

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138293&servcode=A00&sectcode=A00

東日本大地震が発生した11日、会社の中国人研修生20人を先に避難させた後、自分は津波にのまれて行方不明になった日本人専務の話が中国大陸を感動させている。

中国日刊紙・新京報(17日付)によると、宮城県女川にある水産物加工会社・佐藤水産の佐藤充専務は、地震が発生すると、寄宿舎の近くにいた遼寧省大連出身の中国人女性研修生20人に「もうすぐ津波が来る。早く避難しなさい」と伝えた。

そして研修生を高台の神社に避難させた後、自分は妻と娘を探しに会社の寄宿舎に戻った。しかし佐藤専務は津波にのみ込まれ、研修生の目の前から消えたという。佐藤専務の家族も行方不明となっている。

女川の人口1万人のうち現在の行方不明者5000余人。ここで研修を受けていた中国人研修生は100余人だが、犠牲者は1人もいなかった。

中国人研修生は日本人の同僚と村の人々のおかげで安全なところに避難できたと、同紙は伝えた。中国人研修生は「佐藤専務に助けられなければ、私たちはみんな津波の犠牲になった」と涙を流した。

中国ポータルサイトには「彼は愛に国境がないということを教えてくれた」 「彼の殺身成仁精神を中国人は決して忘れない」などと佐藤専務の犠牲を称えるコメントが殺到している。




『東日本大震災:「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸』
http://www.mainichi.jp/select/weathernews/news/20110314k0000m040103000c.html



 東日本大震災の発生から3日目の13日、明らかになりつつある被害状況は拡大の一途をたどり、死者が1万人単位に及ぶとの見方も出てきた。難航する救出作業、あふれる避難所、行き届かない食料や物資。福島第1原発1号機の爆発事故で、新たに約8万人の住民が避難を余儀なくされ、想像を絶する巨大地震に襲われた被災地は、大きな不安や疲労に包まれた夜を迎えた。

 「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

 「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

 難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

 遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。

 地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。

 芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。

 芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」


★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜


ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

ただ感謝たらーっ(汗)たらーっ(汗)


彼らの魂は歓喜してる先祖さまに迎えられて、神様はその労を深くねぎられるでしょう。

そして、その勇気と優しさは、やがてこの星を染めるでしょう。

ありがとうございますぴかぴか(新しい)

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