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2011年10月15日 (土曜日)

友人、妹の発症直後のドキュメント

続きです(◎´∀`)ノ

どうしても忘れることに出来ない、周りの人からの発症直後の迫真のドキュメントをもらって「ほっこり生きよう」に書きました。いまだ、自分の本を見て泣くこともあります。

その中に、命の恩人「かとーちゃん」と、今も北九州の個展で大変お世話になってる「ぬまちゃん」と 妹「かよ」の文をよかったらご覧ください。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

「かとーちゃん」

たけが倒れた日、かめちゃんから連絡があった。たけと連絡がとれないことだったが、たけが電話に出ないのはそんなに珍しいことではなく、また、どこぞで悪さでもしているのだろうと模索した。

いま思えば、このときに気づいていれば・・・

翌日、俺が出かける用意をしていたら電話が鳴る。携帯に記憶されたかめちゃんの電話番号が『まさか!?』と想像させる。

『たけとまだ連絡がとれない・・・』

さいわい、俺はすぐにでも出かけられる用意ができていたので、『まさか?、まさか?』と祈りつつ、車を走らせた。

たけの家につく。車がある。普通はここで安心する場合で、俺は最悪のシナリオを想像してしまった。

ドアをたたくが返事はない。かすかに開いた台所の窓からは昼間なのに照明がつけている。

「たけ!たけ!」

返事はない・・・しまった!鍵を預かっていたのに、もってきていない。いっそ窓をブチ破ろうか。そう決意しても、窓は川に面していて難しい。それに、もしもないごともなかったら・・・考えている暇はない。鍵を取りに帰ろう!

たけの家まで車で往復30分。こんなに近かったんだ・・・いまさらながら悔やまれる。

再度、たけの家に着き、ドアを開ける。

予感は的中した。

部屋には汚物が散乱し、たけが倒れていた。

死んでいる?いや、生きている!

たけに問いかけた。

「救急車呼ぼうか?」

しかし、たけは無表情で、口許だけにかすかな笑みを浮かべるだけ。

だめだ!事は一刻を争うんだ!

ここからは、自分でも驚くばかりに冷静に行動した。

救急車が到着する間、あらわな姿のたけにパンツを履かせ、彼の携帯だけもち出して救急車を待った。

搬送先の病院が決まり、かめちゃんに連絡をとる。俺は救急車に同乗せずに、さきざき車が必要だろうと、救急車のうしろを車で走った。

信号など、かまっていられない。無視して、あとを追った。

そして、救急車に少し遅れて高槻病院に到着したときは、たけはもう点滴をされて眠っていた。

あとは慌てても仕方がない。医者に託すしかない。たけの携帯をもって病院の外に出た。親族に連絡しないと・・・

たけの携帯アドレスから妹のかよちゃんに連絡をとるが、留守番だった。とりあえず、メッセージだけ伝言して、両親らしき番号に電話してみる。

「あの、河村武明さんのご自宅でしょうか?」

緊急事態に、なに言ってんだと思いながらも、お父さんだとわかるや、たけに起こった事態を告げる。

電話を切り、たけのようすを見にいく。医者はとにかく脳の検査をしてみないと、病状はわからないと言う。検査の間、待つのが苦痛だった。

どうしよう。仲間に伝えるべきか?

いや、伝えるべきだ!とにかく主要な仲間にだけは伝えよう。かめちゃんはもちろん、たけの大学からの友人の沼ちゃん、音楽を通しての友人トミー、「たけかめ」のマネージャー・りえに電話をした。

さすが、たけの選んだ友人たちだ。みんなすぐに駆けつけてくれるという

~~

ぬまちゃん(大学の先輩)

夕方4時ごろ、かとーちゃんから電話。ちょうど、僕は友人の結婚式の出席するために、家を出るところだった。ん?なんかお誘いかな?きょうは無理よ。

なんて、のんきに思いながら携帯に出る。

「もしもし、ぬまちゃん?落ち着いて聞いてや」

なになに?ただごとちゃうみたい・・

たけが倒れた。

頭のなかには??????ばかり。

なんとか、かとーちゃんから詳しく聞いたけど、信じられない。

結婚式をキャンセルして、病院に向かいながら横田に電話。うまく説明できない

「とにかくすぐきて!俺も向っているし」

今日に限って国道は大渋滞。あせる。いっしょに同乗した友人とは会話もぎこちない。

「大丈夫やろ~会ったら、けっこう、けろっとしてるんちゃう?」

と、まだ、この時点では楽天的だった。

やっと病院到着。救急治療室のドアを開けた。

妙な空気・・・・・たけを見る。見た目はひどくない。でも、みんなの雰囲気が変だ。かとーちゃんを見つけ、事情詳しく聞いた。

倒れてかなりの時間が経っているらしい。

医者はきわめて危険な状態だという。

死ぬんちゃうか?

そのとき、僕は絶望感でいっぱいだった。

~~~

かよ(妹)

仕事のため、携帯の電源を切っていたことを、死ぬほど後悔した。連絡を聞いてから心臓がバクバク言っている。

電車に乗って、駅から走った。道を聞きながら走った。あんなに走ったのはひさしぶりだった。

『もしかして、もう間にあわないかも。お兄ちゃん生きていて!』

ずっと考えながら走った。病院に着いてからもバタバタ走っていた。

落ち着け落ち着け。加藤さんに電話をする。りえちゃんが出て、病室を教えてくれる。

病室にはベッドに横たわるお兄ちゃん。

加藤さんとりえちゃんとおばさんがいる。

点滴している以外は、なにも変わっていない。でも、話しかけても、手を握っても答えない。おばさんから病状を聞いて、気が遠くなった。頭の中は『どうして?』でいっぱいだった。

夕方には母が病院に着く。

母に、なんて言おう。

以前、母はお兄ちゃんが病気になったとき、お医者さんから話を聞いて、その場で気を失なった前例がある。

どうしていいのかわからない。

だんだん、自分のせいのように気がしてくる。親元を離れ、兄妹揃って京都に10年以上住んで、私が一番近くにいたのに、なにもできなかった。もっと、うるさく言えばよかった。ううん、いっしょに住めばよかった。

ごめんなさい、お母さん。ごめんなさい、お兄ちゃん。

母が到着する。

階段を昇りながら、私は

「あんまりよくないねん、しっかりしてな」と、母に言った。

病室に入ると、皆が気を利かして出ていく。

『武明、どしたん?お兄ちゃん?』

話しかける母の姿を、私は一生忘れないだろう。

おばさんと目を合わして、病名をつげた。

母は、うんうんと、うなずきながら聞いていた。

生きていればいい、そう思っていたのだろう。

母は『ずっとここにいます』と言ってくれる皆さんにお礼を言って、帰らせていただくことにした。

私はICU移って、やっぱり眠りつづけるお兄ちゃんの手を握りしめていた。

長い闘病生活の始まりでした

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・

また、泣いた(/□≦、)

長い記事をお読みくださって、ありがとうございました。

~参考『ほっこり生きよう』(飛鳥新社)河村武明~から
(注 絶版(笑))



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最後まで読んでくださって、ありがとうございますぴかぴか(新しい)
合掌

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

読みながら涙がとまりませんでした。

改めて普段の生活の有り難さを実感しています。

たけさんのファンになって8年。たけさんに出会えた事を嬉しく思い
とても感謝しています。
有難うございます。

これからも微力ながら
娘達と応援しています。

まゆっぺさん

出遭ってもう8年ですね~

そりゃ、おいらもはげになるわ

りなちゃんの学校にも講演しましょう

ありがとうございます
合掌

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