友人、妹の発症直後のドキュメント
続きです(◎´∀`)ノ
どうしても忘れることに出来ない、周りの人からの発症直後の迫真のドキュメントをもらって「ほっこり生きよう」に書きました。いまだ、自分の本を見て泣くこともあります。
その中に、命の恩人「かとーちゃん」と、今も北九州の個展で大変お世話になってる「ぬまちゃん」と 妹「かよ」の文をよかったらご覧ください。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
「かとーちゃん」
たけが倒れた日、かめちゃんから連絡があった。たけと連絡がとれないことだったが、たけが電話に出ないのはそんなに珍しいことではなく、また、どこぞで悪さでもしているのだろうと模索した。
いま思えば、このときに気づいていれば・・・
翌日、俺が出かける用意をしていたら電話が鳴る。携帯に記憶されたかめちゃんの電話番号が『まさか!?』と想像させる。
『たけとまだ連絡がとれない・・・』
さいわい、俺はすぐにでも出かけられる用意ができていたので、『まさか?、まさか?』と祈りつつ、車を走らせた。
たけの家につく。車がある。普通はここで安心する場合で、俺は最悪のシナリオを想像してしまった。
ドアをたたくが返事はない。かすかに開いた台所の窓からは昼間なのに照明がつけている。
「たけ!たけ!」
返事はない・・・しまった!鍵を預かっていたのに、もってきていない。いっそ窓をブチ破ろうか。そう決意しても、窓は川に面していて難しい。それに、もしもないごともなかったら・・・考えている暇はない。鍵を取りに帰ろう!
たけの家まで車で往復30分。こんなに近かったんだ・・・いまさらながら悔やまれる。
再度、たけの家に着き、ドアを開ける。
予感は的中した。
部屋には汚物が散乱し、たけが倒れていた。
死んでいる?いや、生きている!
たけに問いかけた。
「救急車呼ぼうか?」
しかし、たけは無表情で、口許だけにかすかな笑みを浮かべるだけ。
だめだ!事は一刻を争うんだ!
ここからは、自分でも驚くばかりに冷静に行動した。
救急車が到着する間、あらわな姿のたけにパンツを履かせ、彼の携帯だけもち出して救急車を待った。
搬送先の病院が決まり、かめちゃんに連絡をとる。俺は救急車に同乗せずに、さきざき車が必要だろうと、救急車のうしろを車で走った。
信号など、かまっていられない。無視して、あとを追った。
そして、救急車に少し遅れて高槻病院に到着したときは、たけはもう点滴をされて眠っていた。
あとは慌てても仕方がない。医者に託すしかない。たけの携帯をもって病院の外に出た。親族に連絡しないと・・・
たけの携帯アドレスから妹のかよちゃんに連絡をとるが、留守番だった。とりあえず、メッセージだけ伝言して、両親らしき番号に電話してみる。
「あの、河村武明さんのご自宅でしょうか?」
緊急事態に、なに言ってんだと思いながらも、お父さんだとわかるや、たけに起こった事態を告げる。
電話を切り、たけのようすを見にいく。医者はとにかく脳の検査をしてみないと、病状はわからないと言う。検査の間、待つのが苦痛だった。
どうしよう。仲間に伝えるべきか?
いや、伝えるべきだ!とにかく主要な仲間にだけは伝えよう。かめちゃんはもちろん、たけの大学からの友人の沼ちゃん、音楽を通しての友人トミー、「たけかめ」のマネージャー・りえに電話をした。
さすが、たけの選んだ友人たちだ。みんなすぐに駆けつけてくれるという
~~
ぬまちゃん(大学の先輩)
夕方4時ごろ、かとーちゃんから電話。ちょうど、僕は友人の結婚式の出席するために、家を出るところだった。ん?なんかお誘いかな?きょうは無理よ。
なんて、のんきに思いながら携帯に出る。
「もしもし、ぬまちゃん?落ち着いて聞いてや」
なになに?ただごとちゃうみたい・・
たけが倒れた。
頭のなかには??????ばかり。
なんとか、かとーちゃんから詳しく聞いたけど、信じられない。
結婚式をキャンセルして、病院に向かいながら横田に電話。うまく説明できない
「とにかくすぐきて!俺も向っているし」
今日に限って国道は大渋滞。あせる。いっしょに同乗した友人とは会話もぎこちない。
「大丈夫やろ~会ったら、けっこう、けろっとしてるんちゃう?」
と、まだ、この時点では楽天的だった。
やっと病院到着。救急治療室のドアを開けた。
妙な空気・・・・・たけを見る。見た目はひどくない。でも、みんなの雰囲気が変だ。かとーちゃんを見つけ、事情詳しく聞いた。
倒れてかなりの時間が経っているらしい。
医者はきわめて危険な状態だという。
死ぬんちゃうか?
そのとき、僕は絶望感でいっぱいだった。
~~~
かよ(妹)
仕事のため、携帯の電源を切っていたことを、死ぬほど後悔した。連絡を聞いてから心臓がバクバク言っている。
電車に乗って、駅から走った。道を聞きながら走った。あんなに走ったのはひさしぶりだった。
『もしかして、もう間にあわないかも。お兄ちゃん生きていて!』
ずっと考えながら走った。病院に着いてからもバタバタ走っていた。
落ち着け落ち着け。加藤さんに電話をする。りえちゃんが出て、病室を教えてくれる。
病室にはベッドに横たわるお兄ちゃん。
加藤さんとりえちゃんとおばさんがいる。
点滴している以外は、なにも変わっていない。でも、話しかけても、手を握っても答えない。おばさんから病状を聞いて、気が遠くなった。頭の中は『どうして?』でいっぱいだった。
夕方には母が病院に着く。
母に、なんて言おう。
以前、母はお兄ちゃんが病気になったとき、お医者さんから話を聞いて、その場で気を失なった前例がある。
どうしていいのかわからない。
だんだん、自分のせいのように気がしてくる。親元を離れ、兄妹揃って京都に10年以上住んで、私が一番近くにいたのに、なにもできなかった。もっと、うるさく言えばよかった。ううん、いっしょに住めばよかった。
ごめんなさい、お母さん。ごめんなさい、お兄ちゃん。
母が到着する。
階段を昇りながら、私は
「あんまりよくないねん、しっかりしてな」と、母に言った。
病室に入ると、皆が気を利かして出ていく。
『武明、どしたん?お兄ちゃん?』
話しかける母の姿を、私は一生忘れないだろう。
おばさんと目を合わして、病名をつげた。
母は、うんうんと、うなずきながら聞いていた。
生きていればいい、そう思っていたのだろう。
母は『ずっとここにいます』と言ってくれる皆さんにお礼を言って、帰らせていただくことにした。
私はICU移って、やっぱり眠りつづけるお兄ちゃんの手を握りしめていた。
長い闘病生活の始まりでした
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・
また、泣いた(/□≦、)
長い記事をお読みくださって、ありがとうございました。
~参考『ほっこり生きよう』(飛鳥新社)河村武明~から
(注 絶版(笑))
■銀工房 アラマルーツ
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最後まで読んでくださって、ありがとうございます
合掌
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
読みながら涙がとまりませんでした。
改めて普段の生活の有り難さを実感しています。
たけさんのファンになって8年。たけさんに出会えた事を嬉しく思い
とても感謝しています。
有難うございます。
これからも微力ながら
娘達と応援しています。
投稿: まゆっぺ | 2011年10月17日 (月曜日) 00時23分
出遭ってもう8年ですね~
そりゃ、おいらもはげになるわ
りなちゃんの学校にも講演しましょう
ありがとうございます
合掌
投稿: ☆たけ☆ | 2011年10月18日 (火曜日) 01時43分