『許す』~光市母子殺人事件の判決に思うこと~
光市母子殺人事件の判決に、当時18歳だった犯人に死刑判決がくだりました。
犯人に対する怒りと憎しみを抱き続けた遺族の本村洋さんの13年間。
どれほどの思いだったのでしょう・・・・・・
相手を憎み続ける本村さんは、心が休まる時はなかったと思います。心から笑うこともなかったと思います。
極悪非道な事件が起きたら、 普通、人々は、 「絶対に許せない!」 「極刑以外には考えられない!」 「怒りで頭がいっぱいになります!」 と声高に言う。
こんな感情は、当然の気持ちみたいね。 「ご家族の気持ちを考えてたら、極刑は当たり前!」 ともよく言われること。
本村さんもたくさんの支持者がいるみたいですね。
最愛の2人が殺された心の痛みは、ボクにはわかりません。ここで話す資格がないと思ってます。
それなら、自分のことなら話す資格があると思います。
もし、もし、
犯人に対する怒りと憎しみを抱き続けた遺族の本村洋さんの13年間。
どれほどの思いだったのでしょう・・・・・・
相手を憎み続ける本村さんは、心が休まる時はなかったと思います。心から笑うこともなかったと思います。
極悪非道な事件が起きたら、 普通、人々は、 「絶対に許せない!」 「極刑以外には考えられない!」 「怒りで頭がいっぱいになります!」 と声高に言う。
こんな感情は、当然の気持ちみたいね。 「ご家族の気持ちを考えてたら、極刑は当たり前!」 ともよく言われること。
本村さんもたくさんの支持者がいるみたいですね。
最愛の2人が殺された心の痛みは、ボクにはわかりません。ここで話す資格がないと思ってます。
それなら、自分のことなら話す資格があると思います。
もし、もし、
故意か過失か関わらず、ボクが殺されても、被告人を許してあげてほしいです。
ボクの敵を討たなくていいです。ボクの無念を晴らさなくてもいいです。
たとえそれがむごい殺され方をしたとしても。
殺された本人がそう言うのですから、あとは、各々の自分の恨み、怒りだけです。
不毛な恨みのサイクルに入ることだけはやめてほしいと思います。
それなら、自分のことですから話す資格があると思います。
『怨みを怨みで返せば、永久に怨みの尽きることはない』 by釈迦
・・・・・・・
「許す」
障害児らとの交流を描いたドキュメンタリー映画『1/4の奇跡~本当のことだから~』の山元加津子さん(かっこちゃん)
愛の懐がむちゃくちゃ広く、ボクも大好きな方です。
そのかっこちゃんの『宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと』の過去のメルマガに、感動の記事があります。ボクは泣きました。
途中から転載します。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
私はもうひとつ、旅の間中考えていることがありました。
毎日メールをくださる方に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。
これまでも、何度もそう思いながら言いだすことができなかったけれど、旅が終わったらお話ししてみよう。自分の思いを伝えてみようと思っていました。
その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、今はベッドに寝たきりになっておられるのだそうです。
どうしても、事故を起こされた方を許すことができなくて、もし、事故に遭っていなかったら、今、お嬢さんは、就職もし、結婚もしていただろうと思うと、相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられました。
そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝ることというのを、条件の一つにされたのだそうです。
旅から帰ってパソコンをあけると、その中に、その方からのメールがありました。
「・・・どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが条件だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと加害者から電話がありました。
そのようなことは許されることじゃないということが、加害者にはわからないのです。
どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、加害者にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。
せめて月に一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立たしく、申し出は断りました。
私たちには一生幸せなんて来ないのに・・・
幸せになる方法があったら、教えてほしい。私はいつもそう思っています。・・・」
いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言っているようなそんなメールでした。
私は幸せになる方法、わかります。知っています。
相手の方に“もうあなたは充分つぐなってくださったから、もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。
あなたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、そのことのように思えてならないんです。
私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。
お嬢さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、私、充分わかっているつもりです。
けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、幸せには決してなれないんだって、知っています。
知っているつもりなんです。
メールをいただいているうちに、どんどん大切になったから、私、旅の間中、帰ったらそのことをお話ししよう。勇気を出してそうしようと思っていました。
書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。
今日一日、「どんなふうに思われただろうか?怒っておられるだろうか?と何度も考えました。
けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。私うれしくてうれしくて泣きました。
『かっこちゃんからのメール。いったいかっこちゃんは何様のつもりなんだろう。
何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。
それなのに、私自身、メールを閉じて、娘とテレビを見て、テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみようとそんな気持ちになりました。
そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、口走っていたのです。
「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、幸せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」と言いました。
おまけに私は「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょう。
長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」と言いました。
いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、自分でも驚いています。
電話の向こうから嗚咽が聞こえました。
私も言葉が続かなくなって、受話器を置きました。
置いたとたんでした。
不思議なことに、かっこちゃん、受話器を置いたとたん何が起きたと思いますか?
今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつまれて、胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。
「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。ママ、よかったんだよ」と言いました。
娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っていました。
でも、私は許せなかった。
娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言いました。
かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか?見えていたのですか?
テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、何か導かれるようにかけてしまった電話ですが、もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけているかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。
これから、今日のことを後悔することがあるでしょうか?
まだ実はわかりませんが、私が口から出た「今までごめんなさいね」の言葉はかっこちゃんの言葉でなくて、私の心から出た言葉であるならば、私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょうね。・・・・・ ・・・』
私も一緒に泣きました。
そうですよね。恨んでいては決して幸せになれない。
自分がつらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。
私はお二人が本当にすごいなあと思います。
「ごめんなさいね」とおっしゃっられたこと、私、本当に尊敬します。
今日はそんなうれしいことがありました。
<メルマガここまで>
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
恨みを手放さない限り、心の平和・幸せは決して来ないんです。
その方がかっこちゃんに繋がっていて、本当に良かったと思いました。
風見しんごさんの長女で5年生、最愛のえみるちゃんが交通事故で亡くなられたことは、記憶に新しいです。
風見しんごさんも立派な態度で、深くボクの胸をうつお話でした。
「加害者には、ただただ恨まない」とおっしゃった。 彼のブログでも容疑者のことを決して悪く言わないしんごさん。
理由は「えみるはけんか嫌いだったんで」
「争わない」「許す」を選択したしんごさんの姿勢に感動したのです。
・・・
松本サリン事件が起こったのは、1994年6月27日でした。
第一通報者の河野義行さんが警察やマスコミに犯人と疑われました。
しかも、サリンで妻の澄子さんが重い脳障害で寝たきりとなり、入院、介護の日々が続きました。
そして、澄子さんは17年間意識を取り戻すことなく亡くなりました。
二重三重の苦しみを味わった河野さんの言葉
「うちにとって加害者は誰なのか。もちろんサリンを撒いた人もそうでしょうけど。同じかそれ以上にダメージを受けたのはマスコミであり警察であるわけです。その人たちはずっと前から受け入れている。
恨んだり憎んだりしていないんですよ。自分の人生をつまらなくしたくないから……それに、なによりも藤永君(元信者)がとてもいい青年だから交際が続いている」
こんな目に遭ったのに、誰も恨まないで、しかも松本サリン事件で使われたサリン噴霧車の製造にかかわり懲役十年の刑を受け、出獄してきた犯人と仲良く交流して一緒に遊んだり、自宅に泊めたりする。
「社会的に罪もつぐない、反省もしている。友人になりたいと 思った相手だから」
なんて、普通はできることではありません
麻原死刑囚ら死刑確定者の執行に世間の関心が移る。死刑制度については
「現行法では合法で正義だが、個人的には、どの命もかけがえがなく、冤罪防止のために も廃止すべきだと考えている」とおっしゃった。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
「ゆるす」
自分に不利益なことをされて、なかなか「ゆるす」って難しいものですね。
だから、勇気が必要なのです。
ボクの敵を討たなくていいです。ボクの無念を晴らさなくてもいいです。
たとえそれがむごい殺され方をしたとしても。
殺された本人がそう言うのですから、あとは、各々の自分の恨み、怒りだけです。
不毛な恨みのサイクルに入ることだけはやめてほしいと思います。
それなら、自分のことですから話す資格があると思います。
『怨みを怨みで返せば、永久に怨みの尽きることはない』 by釈迦
・・・・・・・
「許す」
障害児らとの交流を描いたドキュメンタリー映画『1/4の奇跡~本当のことだから~』の山元加津子さん(かっこちゃん)
愛の懐がむちゃくちゃ広く、ボクも大好きな方です。
そのかっこちゃんの『宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと』の過去のメルマガに、感動の記事があります。ボクは泣きました。
途中から転載します。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
私はもうひとつ、旅の間中考えていることがありました。
毎日メールをくださる方に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。
これまでも、何度もそう思いながら言いだすことができなかったけれど、旅が終わったらお話ししてみよう。自分の思いを伝えてみようと思っていました。
その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、今はベッドに寝たきりになっておられるのだそうです。
どうしても、事故を起こされた方を許すことができなくて、もし、事故に遭っていなかったら、今、お嬢さんは、就職もし、結婚もしていただろうと思うと、相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられました。
そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝ることというのを、条件の一つにされたのだそうです。
旅から帰ってパソコンをあけると、その中に、その方からのメールがありました。
「・・・どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが条件だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと加害者から電話がありました。
そのようなことは許されることじゃないということが、加害者にはわからないのです。
どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、加害者にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。
せめて月に一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立たしく、申し出は断りました。
私たちには一生幸せなんて来ないのに・・・
幸せになる方法があったら、教えてほしい。私はいつもそう思っています。・・・」
いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言っているようなそんなメールでした。
私は幸せになる方法、わかります。知っています。
相手の方に“もうあなたは充分つぐなってくださったから、もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。
あなたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、そのことのように思えてならないんです。
私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。
お嬢さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、私、充分わかっているつもりです。
けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、幸せには決してなれないんだって、知っています。
知っているつもりなんです。
メールをいただいているうちに、どんどん大切になったから、私、旅の間中、帰ったらそのことをお話ししよう。勇気を出してそうしようと思っていました。
書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。
今日一日、「どんなふうに思われただろうか?怒っておられるだろうか?と何度も考えました。
けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。私うれしくてうれしくて泣きました。
『かっこちゃんからのメール。いったいかっこちゃんは何様のつもりなんだろう。
何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。
それなのに、私自身、メールを閉じて、娘とテレビを見て、テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみようとそんな気持ちになりました。
そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、口走っていたのです。
「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、幸せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」と言いました。
おまけに私は「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょう。
長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」と言いました。
いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、自分でも驚いています。
電話の向こうから嗚咽が聞こえました。
私も言葉が続かなくなって、受話器を置きました。
置いたとたんでした。
不思議なことに、かっこちゃん、受話器を置いたとたん何が起きたと思いますか?
今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつまれて、胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。
「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。ママ、よかったんだよ」と言いました。
娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っていました。
でも、私は許せなかった。
娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言いました。
かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか?見えていたのですか?
テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、何か導かれるようにかけてしまった電話ですが、もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけているかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。
これから、今日のことを後悔することがあるでしょうか?
まだ実はわかりませんが、私が口から出た「今までごめんなさいね」の言葉はかっこちゃんの言葉でなくて、私の心から出た言葉であるならば、私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょうね。・・・・・ ・・・』
私も一緒に泣きました。
そうですよね。恨んでいては決して幸せになれない。
自分がつらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。
私はお二人が本当にすごいなあと思います。
「ごめんなさいね」とおっしゃっられたこと、私、本当に尊敬します。
今日はそんなうれしいことがありました。
<メルマガここまで>
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
恨みを手放さない限り、心の平和・幸せは決して来ないんです。
その方がかっこちゃんに繋がっていて、本当に良かったと思いました。
風見しんごさんの長女で5年生、最愛のえみるちゃんが交通事故で亡くなられたことは、記憶に新しいです。
風見しんごさんも立派な態度で、深くボクの胸をうつお話でした。
「加害者には、ただただ恨まない」とおっしゃった。 彼のブログでも容疑者のことを決して悪く言わないしんごさん。
理由は「えみるはけんか嫌いだったんで」
「争わない」「許す」を選択したしんごさんの姿勢に感動したのです。
・・・
松本サリン事件が起こったのは、1994年6月27日でした。
第一通報者の河野義行さんが警察やマスコミに犯人と疑われました。
しかも、サリンで妻の澄子さんが重い脳障害で寝たきりとなり、入院、介護の日々が続きました。
そして、澄子さんは17年間意識を取り戻すことなく亡くなりました。
二重三重の苦しみを味わった河野さんの言葉
「うちにとって加害者は誰なのか。もちろんサリンを撒いた人もそうでしょうけど。同じかそれ以上にダメージを受けたのはマスコミであり警察であるわけです。その人たちはずっと前から受け入れている。
恨んだり憎んだりしていないんですよ。自分の人生をつまらなくしたくないから……それに、なによりも藤永君(元信者)がとてもいい青年だから交際が続いている」
こんな目に遭ったのに、誰も恨まないで、しかも松本サリン事件で使われたサリン噴霧車の製造にかかわり懲役十年の刑を受け、出獄してきた犯人と仲良く交流して一緒に遊んだり、自宅に泊めたりする。
「社会的に罪もつぐない、反省もしている。友人になりたいと 思った相手だから」
なんて、普通はできることではありません
麻原死刑囚ら死刑確定者の執行に世間の関心が移る。死刑制度については
「現行法では合法で正義だが、個人的には、どの命もかけがえがなく、冤罪防止のために も廃止すべきだと考えている」とおっしゃった。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
「ゆるす」
自分に不利益なことをされて、なかなか「ゆるす」って難しいものですね。
だから、勇気が必要なのです。
« 『くらべない』~ゴレンジャーの法則からSMAPからボクの手の小さい世界まで~ | トップページ | たけ10周年記念個展・講演in京都タカシマヤ »
「宇宙」カテゴリの記事
- 「カタカムナ学校」の校長の吉野信子先生と能楽師井上和幸先生とご一緒に講演します(2019.03.02)
- 世界の中心「幣立神宮」(2019.02.16)
- ブータンといじめ(2018.08.04)
- 想像は創造される(2018.07.05)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« 『くらべない』~ゴレンジャーの法則からSMAPからボクの手の小さい世界まで~ | トップページ | たけ10周年記念個展・講演in京都タカシマヤ »
たけさん、こんばんは。
長い文章でしたが、読んでいてぐいぐい文章に引き込まれるように真剣に読ませていただきました。
もし、自分の娘がそうなったら・・・
絶対に許せないでしょう。
絶対に犯人を恨んでいると思います。
普通はそれが当たり前。
本当に許すには勇気がいることだと思います。
もし、そうなった時、自分に許す勇気があるかは解りません。
でも、許せるような人間にならないとダメですね。
投稿: ペコ | 2012年3月14日 (水曜日) 20時41分
ペコさん
うん、もし、自分の娘がそうなったら・・・
なかなか難しいですね。
ゆるすって本当勇気がいるもの。
けど、それを出来たら、魂の成長もできますね。
ありがとうございます
合掌
投稿: ☆たけ☆ | 2012年3月14日 (水曜日) 20時53分
たけさん、佐奈泣いています。感動して泣いています。地下鉄サリン事件の件で「許す」コトを回りに反対されたそうですが「許す」コトを決め、容疑者と仲良くやってる姿をテレビで拝見しました。斉藤一人さんも「幸せ」じゃない人は、自分か人を「許せない」人だと言っていますね。佐奈も色々ありますが「許す」コトを忘れずに生きて行きたいと改めて思いました。ありがとうございます。感謝
投稿: 佐奈 | 2012年3月15日 (木曜日) 00時55分
たけさん、涙が出てしまいました(;_;)
どの事件も本来なら許せないことなのに被害者の許す気持ち、凄いと思ったんです
今日もまた、ステキな言葉で救われました。
投稿: 奈良のみほ | 2012年3月15日 (木曜日) 03時41分
佐奈さん
ボクも何度も泣いたわ~
この日記を書いてさだまさしさんの「償い」を思い出しました。
http://www.youtube.com/watch?v=Vl2XbBlNCzs
例え被害者の遺族から許してもらえたとしても、決して消えることがないであろう心優しき加害者の罪の意識。
そのジレンマから出たさださんの締めの一言「人間って悲しいね、だってみんな優しい」はホンマに胸に突き刺さります…
ありがとうございます
合掌
投稿: ☆たけ☆ | 2012年3月15日 (木曜日) 22時45分
奈良のみほさん
ボクも何度も涙が出てしまいました。
この日記を書いてさだまさしさんの「償い」を思い出しました。
http://www.youtube.com/watch?v=Vl2XbBlNCzs
ありがとうございます
合掌
投稿: ☆たけ☆ | 2012年3月15日 (木曜日) 22時47分
初めてコメントさせていただきます。
大きく胸を打ったので
コメントせずにはいられませんでした。
些細なことでも、人を嫌に思ったり
夫婦喧嘩でも過去のことをほじくりだして
思わず声を荒げてしまう私。
どんなに器が小さいのでしょう。
もっと精進したいものです。
素敵な記事ありがとうございました。
投稿: コスモス | 2012年3月17日 (土曜日) 21時34分
コスモスさん
コメントありがとうございました!嬉しいです
そうですね~
人を許すって難しいものですね。
ボクの体験では、ありがとうと言い続けたら、
愛の器がちょっとだけ広くなりました。
まず、「感謝の行」が先だ かなぁ~と思います。
嫌な人やご主人とか、「ありがとう」と陰で言ってください。心を込めてなくでもOKなのです。
ただ自分の口から発するだけです。
それを毎日やると、周りの人が激変しますよ。
自分も変わります。「許す人」になりますよ。
素直に実践した人だけが知る「ありがとう」のチカラ。
ぜひコスモスさんも
ありがとうございます
合掌
投稿: ☆たけ☆ | 2012年3月17日 (土曜日) 23時47分
通りすがりに読ませていただきました・・・
加害者に反省や償う気持ちが無ければ まして被告の態度や言い訳を見聞きし 弁護側を含め遺族や故人を侮辱したような法廷陳述や実際に記者会見での弁護士を見ていると
憎むしか無いと思います。
被告が死んでも遺族や故人が浮かばれるわけではないでしょう
でも ひとつ区切りは付くんじゃないでしょうかね
他人の未来や将来を自分の性欲を満たす為に奪って その本人が 死刑は嫌だなんて可笑しな話でしょ 事故や過失致死なら兎も角。
さだまさしさんの『償い』という歌の(実話を元にした)ように
不慮の事故ならお互いに悲劇と言うのもあるでしょう いつか許し励ましあえる日も来るでしょうね
投稿: kuroineko | 2013年5月31日 (金曜日) 01時38分
ありがとうございます
ありがとうございます
ありがとうございます
投稿: てっか | 2013年10月 7日 (月曜日) 08時15分