天の道具として(1)
無口の講演500回記念でこの気持ちを書いてみました。ご覧ください
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天の道具として
大学の1年は学校の公式の寮にいました。朝は全員ラジオ体操、夜は各班、人員の状況を調べるための集合があり「点呼(てんこ)」と言っていたが「いち、に、 さん、し、ご、ろく、しち、はち...」、最後に「けつ!」と毎日やっていました。
追分寮という寮で、一般の学生から「追分軍隊」「追分刑務所」とよくからかわれていました。
その分、同じ釜の飯を食べた寮生の絆は深く未だ付き合いがあり、個展にもよく御応援を頂きます。
路上販売を初めて2年目でしょうか、その寮の先輩が来てくれました。先輩も徳島県出身でよく可愛がってくれた記憶があります。卒業後交流が絶えましたが、先輩は京都市の中学校の先生になりました。たまたま本屋で「河村武明」の著書を見つけてびっくりされて、路上まで来てくれたのです。ある依頼をする為に。
「たけ、生徒の前で話して」
本を読んで、ボクが喋れなくなったことを知っているのに講演してほしいと言うのです。本を生徒が読む、たけは前に居るだけでいいと。
これが無口の講演の記念すべき第1回目、京都市立神川中学校。
本を読むだけの講演ってむちゃくちゃ面白くない。ものすごくつまらない。しかもこれが午後の講演で、生徒さんは全員寝そうになってしまうのです。本人のボクも何度もあくびをしてしまった。
やっぱりオレには講演なんて無理だ。しゃべれない男は講演なんて不可能だ。次の依頼があれば「できません。無理です」と正直に言おう。
その先輩から、異動した先の中学校でまた講演をしてほしいと依頼があったのです。
前向きでアツい先輩を前には無理ですとは言えず、しぶしぶ、また本を読むだけの講演が始まった。盛夏の熱い体育館での講演。何人かは気分が悪くなって退場。
案の定だ。やっぱりオレには講演なんて無理だ。しゃべれない男が面白い話をできる訳ない。
その後2年間、地方でたまに講演しましたが、本人のボクは講演をやる気がなかったのです。
(続く)
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